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神の山 カイラスへ 旅行記パート1 事前準備&入国編    

  • 渡航時期 2006年8月
  • 滞在期間 19日間
  • 行程 ラサ、ラサ周辺、シガツェ、カイラスコルラ、チョモランマB.C.、サキャ、ギャンツェ
  • ガイドブック LonelyPlanet 「Tibet」、地球の歩き方「チベット」、
     チベット 旅行人ノート、西チベット 旅行人ウルトラガイド、旅行人2006年夏号(No152:特集 ラサの21世紀)
  • 参考サイト 越山さんの「Tibet:西蔵之旅」
           川さん夫婦の「世界旅日記帳」

 

 

プロローグ

会社には新婚旅行とう名目で、夏期休暇を含めて3週間の休みを得られそうだ。ということで、3週間が必須であるターゲットを探したところ、チベットそれもカイラス山はどうかとうことになった。チベットは1996年の7月、学生時代の休学中に1ヶ月ほど訪れていたが、当時はラサ周辺で一杯一杯で、カイラスには行けなかった。

10年前と比べてカイラスもかなりメジャーになっているようで、情報も当時より比べ物にならないほどある。サラリーマンの夏期休暇でもギリギリ何とかなりそうなので、ガイドブックやネット上でいろいろ調べてみる。

日本の旅行会社による全ての込のツアーもあるが、当然ながら高い。50〜90万円ほど。とてもそのような金額は出せないし、そのような楽々ツアーは嫌だ。かといって学生のようにヒッチハイクでは、時間の計算ができないのでNG。

結局は現地までは航空券手配は自分で手配。現地ではランドクルーザーをチャーターするツアーを探してみた。

現地への道

ラサに入る方法がいくつかあるが、今回は時間が決まっているために空路以外はありえない。日本から一番安い方法を調べところ、成田⇔広州⇔ラサというのが一番安い。夏の最忙期に10万円とは安かった。てっきり成都までは日本から予約し、成都⇔ラサは成都の旅行代理店で手配と思っていたので、拍子抜け。ということで、ラサまでの足は確保。

カイラスに行くには、実はネパールのカトマンドゥから往復という手段もある。カイラスまでの距離もラサからより近い。しかしながら、そうなるとラサとその周辺をスキップすることになる。旅行代理店もラサよりネパールのほうが交渉しやすそうであったが、今回は相棒がチベットが初めてということもあり、ラサから往復することとした。

現地でのツアー

通常、ラサからカイラスまで一番安く行こうとすると、ラサの旅行代理店で直接、車のチャーターを交渉し安宿の掲示板で同行者を集めて、人数が集まり次第出発という流れになる。これをやっていると、2,3日は現地で必要となり、3週間という日程ではかなり難しくなる。

そこで我々はネット上での旅行代理店、ラサの代理店と直接コンタクトをとって契約をした。日程やツアーの申し込み方など、各種詳細は情報編にまとめましたので、そちらを参照してください。

 

11日(金) 出発 成田→広州

今回の入国経路は中国南方航空での成田⇔広州⇔ラサのである。早めに到着してチェックインすると、チケットが格安でなく正規航空券であるので、幅の広い席を準備くれるとのこと。ラッキー。

14時過ぎの離陸のはずが機材トラブルで2時間弱遅延。何とか出発。席は幅広で楽であるが、機内の設備は個人用TVもなく貧弱。

出発の遅れ分だけ遅れて、広州に到着。空港はできたばかりのようで、広州市内から離れた広大な土地に広がっていた。

空港の出口では、待っていてくれた広州のの旅行会社の担当者から、TTB permitを無事に受け取る。これが一番心配であったで、これで一安心。

あとは珍しく日本から予約しておいたホテルへ送迎のバスで向かう。空港から10分ほどの綺麗なホテルで就寝。

 

12日(土) 広州→ラサ 

朝の5時半にホテルを出発。送迎バスで空港へ。空港ではいつTTB許可証のチェックがあるのかと思っていたが、結局は広州空港ではチェックなし。

また航空券では広州からラサと直通とあるが、どうも香格里拉(シャングリラ)経由であることが判明。距離の割に時間がかかるな。。。と思っていた謎がとけた。

香格里拉では30分の乗り換え時間。ラサへ行く客はそのまま待つ。香格里拉からは、いよいよチベット高原へ。眼下を見下ろすと山肌の木々が次第になくなっていくのがわかる。

ラサまであと30分くらいのころであろうか、サムイエ寺の曼荼羅の形を見ることが出来た。ラサへ入る飛行機は、ラサの南側のヤルツァンポ川の上空を飛ぶようであるので、これを見た人は是非飛行機の右の窓側に座って、サムイエの上空からの見学にトライしてもらいたい

予定通りにラサ到着。ラサの空港も小さいが綺麗な空港であった。

高山病に気をつけてるために、水分を多く摂取しないとと気を引き締める。この時点では、まだ到着直後で体に異変はない。

 

 

空港からはバスで市内に向かう予定であったが、トイレにいっていたりしている間にバスは満席に。次便は1時間後ということで、同じように席をゲットできなかった中国人の若者1人と市内までタクシーのシェア。ヤルツァンポ川にはラサと空港を最短で結ぶような、立派な橋がかかっていた。

 

市内までは約1時間で到着。今回のラサでの宿は旅行会社の入っているキレーホテル(吉日旅館)。旅行会社から予約済みなので、余裕で部屋確保。

今日は無理をせず、宿と大昭時の回りをぶらついて、ついでにここでお土産まで早々と入手してしまう。

 

夕方は旅行会社でツアーについて、最終調整。この場でグゲ遺跡が雨季のために行くのが難しいことを知らされる。詳細は情報編へ。

 

夜になるにつれて高山病の症状が出てきて最悪!夕食も食べられず、結局、頭痛と吐き気に悩まされて朝まで眠れなかった。ただホテルの部屋をトイレ付きにしておいて本当によかった。

13日(日)ラサとその周辺

昨晩の高山病の影響で朝から頭が痛いが、新陳代謝をあげるためにも、体を動かさなくてはならない。まずはラサ市内の観光からである。

まずは歩いてポタラへ向かってみる。

あ、あれ。10年前と何か景色が違う気が...

持参した「旅行人の2006年夏号」にも比較写真があったが、宮殿の南側の家が全て取り壊されて、道と中国人の好きそうな『記念碑』の立つ公園になっている。主は海外へ追い出されているし、これで完全に見世物になってしまっている。

宮殿自体は旅行社の増加により、今では前日から予約券を入手する必要があるらしい。我々はカイラスツアー後に見学することとし、本日は外側だけ。

旅行代金の支払いのため、日曜でもあいているポタラの裏の中国銀行で両替。

ホテルに戻って、旅行代金の支払いを終えるが、高山病で体が疲れる。無理はせずに休養して1日を終える。

夜はなんとかまともな食事をできる気分夜を前に頭痛が再び襲う。嫁が日本から持ってきた、南米で入手した高山病の薬を飲むと頭痛は不思議と治まった。その代わりに嫁の調子が悪い。1日遅れで同じ症状が襲ってきたらしい。

 

14日(月) サムイエ

高山病はつらかったが、じっとしているのは良くないので、10年前のラサ訪問で行けなかったサムイエに行くことにした。

本来は外国人旅行証(この時点では、申請中で入手していない)が必要であるが、旅行会社によると許可書なしでもなんとかなるというので、片道3〜4時間かかるというローカルバスで行ってみることに。

朝6時30分頃に大昭時横から出発するローカルバスに乗る。サムイエはラサから160Km、空港の先の町、ツェタンの手前、川の対岸にある。ガイドブックによると、サムイエの手前で船に乗り換え、更にバスに乗り換えてサムイエ寺へ至るとのことであった。が、実際には今はサムイエ寺まで直通バスになっている。

バスは一度ツェタンへ向かう。ツェタンまで約2時間半。ここまでは全て舗装路。ここでヤルツァンポ川の橋を渡る。ここから川の北岸の未舗装路を西へ1時間ほどバック。計3時間50分ほど。ラサからの距離は近いのであるが、結構距離はかかる。

バスは寺の中に到着。寺の入口で入場料金を払う際に警察官に見つかる。パスポートは許可証のためにコピーしかないと言って、料金を払い、寺の中を見ることは出来たが、寺から出る際に、同じ警察官に「ちょっと来い」といわれて、村の派出所へ。

「許可証がないので、罰金だ」と言われたので、ラサの旅行社へ電話。通じたようだが、我々の担当者不在で状況は良くならない。結局二人で罰金100元(本来は一人100元だが、一人分は見逃してくれたようだ)を払って開放。

気分を悪くしたが、ここにきたら寺を上から見たい。東側にある小山に上る。

小山からの写真が↑。見事といいたいところであるが、中国がテレの東側(写真の右下側)に、商店やホテルを建て始めたので、寺が綺麗な曼荼羅の形に見えない。ここもちょっと来るのが遅かったか。でもこれ以上の回りの景色の破壊はやめてもらいたい。

 

ラサへの帰りは、なぜか外国人は往きに乗ってきた直通バスに乗せてもらえない。まずはバスでサムイエの西側のボート乗り場まで30分、ボートで約1時間でやっと反対岸へ。これがガイドブックに載っていたルートである。

ここでラサ行きのバスを待つ。20分ほどでサムイエからのバスが来て乗せれくれる。ここで乗せてくれるのであれば、サムイエから乗せてくれよ。

 

ラサまでは2時間弱で到着。その後はホテルで休息。

 

夜はやっと2人とも体調が整ったので、まともな中華で食事。これからに備える。

 

15日(火) ラサ市内(大昭時、セラ寺) 

大昭時

朝早く大昭時に行ってみる。数多くのチベット人が参拝している。

我々も入場料を払って中を覗かせてもらう。

昨日は罰金をとられて頭にきていた嫁も、ここでは素直に感動。

 

寺の屋根に登るとポタラが見渡せる。

セラ

ポタラのあと、市内バスでセラ寺に向かう。

こちらも内部は素晴らしいものであった。

 

内部を見学した後、10年前には登らなかった裏山に上ってみる。

タンカ台の裏手から入口を上ってゆく。高地なのでやはり息がきれる。

 

上に上ると、太陽も少し顔を出し始めた。眼下に寺を見下ろす良い景色でしばし休憩。

 

その後バスで市内に戻り、翌日からツアーへ出発のための買出し。ホテル周辺で食料等を買出し。

 

夜、ドライバとガイドと顔合わせ。

翌日に備えて早めに就寝。

中国人旅行者について

今回のチベットで一番驚いたのは、中国人旅行社の増加だ。10年前は中国人旅行者と外国人旅行者が同じ宿に泊まることができなかった。安宿で会う人といえば欧米人、日本人、韓国人が占めており、宿での共通言語は英語であった。

しかし今回は来てビックリ。宿も観光地も中国人で溢れている。家族連れ、バックパッカー風の若者などいろいろだ。安宿のツアーメイト募集用の掲示板も、以前はほとんどの募集が英語であったのに、今回はほとんど8割以上を中国語の募集が占めている。それも皆、携帯電話の番号付きだ。携帯電話も5,6年前からチベットに進出しているらしい。

若者の格好も日本の若者とそう変わらないので、我々も中国語で話し掛けられる。たまにこちらから英語で話し掛けても、中国人は英語を話せない。まー、英語については、日本でもユースホステルに泊まっている日本人が皆英語話せるかというと、そうでもないので仕方はないが。

地元の人に聞いてみると、この中国人旅行社の大量流入は2000年頃からとのこと。今夏にラサまで鉄道が開通したことにより、更に増加しているらしい。

彼らは自分達で○○したチベットを、一体どういう気持ちで見ているのであろうか。それとも事実すら知らないのであろうか...

 

カイラス パート2 へ

 


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